以前住んでいた静岡県の雄踏町というところにある、「もみの木」という喫茶店。
一時期は良く通いました。
当時の私は、地元には会社関係の人間以外の知り合いはおらず、
そんな中で唯一、地元の人間と触れ合うことがあったのがこの店でした。
おばちゃんが一人でやっている、丸太作りの喫茶店。
仕事のこと。生活のこと。その他のこと。
うまいコーヒーを頂きながら、とにかくいろんな事を話した思い出があります。
神奈川に戻ってきて丸4年、もうすっかりごぶさたしてしまっているけど、
おばちゃん元気だろうか。
浜名湖花博のニュースなんかを見ていて、ふとその当時にあった事を思い出している
今日この頃です。
「もみの木」
http://www.mapion.co.jp/c/f?grp=all&uc=1&scl=25000&el=137%2F37%2F36.666&pnf=1&size=500%2C500&nl=34%2F42%2F16.402
今まで撮り貯めていたデジカメのデータを整理するかたわら、過去の思い出に浸かってみました。
1997年にデジカメを導入して以来、いろいろと写真を撮ってきましたが、
これだけ量があると、なかなか見応えがあるもの。
整理ついでにアルバム化しようかなと。
試しにこんな具合。
http://www.suka-net.com/undef/20040601/catalog.html
を繰り返して今の自分。
それがあと何回繰り返すことが出来るだろうかと考える日々。
そんな憂鬱がいつまでも出来たら、平和な人生なのかなぁと。
今のところの結論は、それが自分の方向では無いということくらい。
生来のお祭り好きの人生は、やっぱそうでないと。
「病的なのは昔からなので。」
だから大丈夫です、というわけではないけども
これでもう何年もやってきてますから・・・。
とか書くとまた無用なご心配をおかけすることになってしまいますが、
ほんとに気にして頂く程のことじゃありませんので。
あまり心配されると、かえって心配になります。
ほんとにもう自分がダメなような気がして。
体の調子が悪くて、昨年末から月に3日くらいのペースで仕事を休んでいる。
仕事の忙しさに加えて、身の回りのトラブルが重なったのが
体にも影響したって感じで、どこかが悪いというよりは、
精神的なものでは無いかというのが医者の見解。
とはいえ、仕事は相変わらず忙しく、身の回りのトラブルは解決の見込み無し、
持病の腰痛もひどくて。。。と考えると、真面目に考えないと先が無いかも知れない。
追いつめられていくばかりで、自分の行く先がはっきりと見えない今日この頃。
安静中の布団の中で天井を見ながら。
1がやたらと並ぶ1989年のこの日、
パソコン通信BBSとして、すか・ねっとは運営を開始しました。
たぶん初めて知る人がほとんどでしょうけど。
それから10数年。すかねっとも、自分自身も紆余曲折を経て今に至ります。
近いうちにこの辺の話も。。。
うちの一家は何となく関係が希薄。
と、自分では思っている。
別に両親の仲が悪い訳ではなく、極度に貧乏で苦労している訳でもないけど。
小学校半ばくらいまでは至って普通の一家だったと思う。
それ以降、叔父の交通事故を始めとしていろんな事件があり、
家族内だけでなく、親戚との関係もだんだんとおかしな事になっていった。
表面的には普通の家族に見えるかもしれないけど、
いろんな出来事の積み重ねが生んだ見えない空間は、
うちの家族の間には確かに存在している。
表面的には見えないけれど、確かに。
自転車に乗れるようになったころの話を書いていて、
その頃にあったこと、どれだけ覚えてるのか気になったので列挙します。
・家族4人でアパート暮らし
(生まれたころ、六畳二間位だったような。親子4人で並んで寝ていたこと
くらいしか覚えてない。)
・親父の会社の社宅へ引越し
(殺伐とした工場の敷地内だったけど、変わったものが沢山あって面白かった。
あまり長い期間は居なかったけど。今は駐車場になってる。)
・自転車で脱走
(略)
・津久井に引越し
(保育園を転園、周りと馴染んだような馴染んでないような、何となくな感じで過ごす。
自然豊かで日々山や川で遊べたことが救いだった。)
小学校に上がるまではこんなとこ。
詳細はまたいずれ。
自転車で旅に出てしまい、行方不明になったと大騒ぎになった事があります。
本人は行き先も帰り道もわかっていたし、その証拠に夕方には帰って来れたので
コトの重大さなんて少しも感じて居なかったのですが、
今になって思うと、あの時の騒ぎは凄かった。。。
思えば、あの事件(?)で今の性格が決定付けられたのかもしれない。
家の周りを囲んでいた高い鉄格子。
あの向こうはどうなっているんだろう、
あの鉄格子を超えたらどうなるんだろう、
あの鉄格子を超えることは出来るのだろうか。
別に監禁されていた訳じゃなく、当時住んでいた社宅が会社の敷地内だったために
たまたま塀が高かっただけなんですが、
その当時の自分にはその塀が何かのハードルのように見えたんですね。たぶん。
そして、それを超えた瞬間、何かが変わったに違いない、
その瞬間が今の自分の第一歩ではないかと。
今思うに、人間の根底ってこんなもんなのかなと。
その時のちょっとした挑戦がその後の人生を決めてしまうこと、
やはりあるんじゃないかと。
それはもちろん、今になって思えることであって、
当時の自分はそんなことが思い付くはずも無い、ただのクソガキでした。
あしからず。
自分で思うにこんな奴です。
・いろんなことに興味を持ち、手を出す。が、長続きする事は少ない。飽きっぽい。
・新しいものも古いものも好き。
・社交的だと言われるが、結構人見知りする。
・自分の事を話すのは苦手だ。
・小心者の怖いもの知らず?
・集団行動をしててもいつのまにか個人行動をしている。
・・・こんなところかな。
何か思い付いたらまた書こう。